| 当地の歴史は古く、多くの旧跡に恵まれています。先頃も聖武天皇が東国行幸の際に使った仮宮の一つである頓宮(とんぐう)跡が発見されました。 静かな琵琶湖の岸辺と、背後に連なる山々に挟まれた細長い町で中央には東海道が通っています。当地に滞在していた芭蕉は、“四方より花吹入て鳰の海”と詠み、その石碑は今も岸辺にあります。 江戸時代は、膳所藩の城下で、琵琶湖を望む山手の柿ヶ坂と呼ばれる一帯には、緑の茶園が広がり、良質のお茶を産出していました。 |
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| 膳所城古図 琵琶湖より膳所城と城下を遠望 |
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| 時は嘉永6年米艦(黒船)が浦賀に来航し、日本との通商を求めてきました。日本国中大騒ぎになったのはご存じの通りですが、この時、膳所藩江戸詰の儒者関研は命により、幕府の応接役林大学頭(かみ)に従って米艦へ行ったところ、ペリー提督が西洋のコーヒーのような飲料はないかとたずねたので、持参した膳所の茶を出しました。ペリー提督、このお茶をたいへん気に入り、貴国の産物の中で生糸とこのお茶が欲しいと言われました。
かくして、膳所茶は生糸と共に輸出されることになり、膳所のお茶は日本で最初に輸出されたお茶になりました。信楽焼の茶壺に入れられ、神戸と横浜から輸出されていたと伝えられます。 |
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「日本茶輸出のきっかけを生んだ」 念仏重兵衛(太田重兵衛) 重兵衛は膳所の荒地を開墾して茶畑を作り、宇治で製茶法を習得、 製茶に成功しし、膳所藩の茶司に任ぜられました。 重兵衛は信仰心が厚く、常に念仏を唱えて日々を 過ごしていたので、念仏重兵衛と呼ばれるようになりました。 |
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岩倉具視は茶園を「念仏園」と命名し、 伏原宣諭に書かせました。 |
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ペリーと接見した「関 研」の書で店舗名「龍井堂」 |
| 資料提供 : 太田弘造氏 |
| 写真撮影 : 膳所歴史資料室(大津市立膳所市民センター2階) |
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| 資料提供 : 太田耕次氏 |
| 明治時代に茶の輸出用箱ラベル(蘭字)として使用されたものです。 |
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しかしこのようなすばらしい由緒がある膳所茶なのですが、残念ながら現在の膳所は市街地化などで茶園は無くなり、垣根などに茶の樹がわずかに残るのみとなっています。 そこで、ペリーさんの飲んだお茶はどんな味だったのだろうと |
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